時間城

生きとし生ける者は全てが死ぬが、せめて記憶だけは電子の海で生きていて欲しい

玉の肌

この世界は3次元空間である。

4次元目に時間のベクトルを加えて4次元空間と呼ぶこともたまに見るが、時間のベクトルに関しては他と比べて異質だろう。

その異質さとして不可逆性が大きな要因である。ただただ流れるだけの時を次元の一つとして考えるのは無理があるだろう。

 

そして時に関して、「神は我々に平等に時間を与えた」という言葉は果たして真であるか。私の答えは「偽」である。

この平等さとはその時の長さであり質的な部分を言及しきれてないと考える。それは例えば同じ距離を走ったとして走りやすい平坦な道か険しい山道かどうかという点である。そもそもスタート地点の違いによる差は非常に感じやすいのではないだろうか、今時の若者はと皮肉を言うことはなくとも、自分の過ごした時との違いを感じることは多いだろう。

もし自分がもう少し人類の魂のルーツに近い時代に生まれていたらと考えたこともある。そうであれば今の私の持ちうる悩みはなかったのではないだろうか、このような秩序に縛られた人生から離れられたのではないか。

 

本来秩序というものは弱者のためのものである。弱者も強者も平等に生きる社会のために生まれたのが秩序としての法である。ニーチェルサンチマンという言葉がある。一般に道徳上の善い行いというものは純粋な生の喜びを享受できるものか?人に何かを譲ったり、無償の労働であったり、それは純粋な喜びではないはずだ。ただその行為を善い行いと定義したのがキリスト教的な道徳であり、ニーチェの言う奴隷道徳でもあり、弱者の強者に対するルサンチマンから生まれたものである。

 

その弱者のための秩序が現在の社会の大前提となっているせいだ、全てそのせいだ。

18歳とは結婚できるのに手を出しては法に触れてしまう。一方、明らかに悪質な転売を罰する法はない。

不倫も浮気もハーレムを形成したりすることも動物が強い方に気持ちが傾くのは自然なことだろう、しかし現在の法がニンゲンにそれを許さない。

法なんてなければ悪質な転売も野菜を全く食べない奴もムカつくからという理由で戦闘に持っていけるのに、秩序が俺を悪人にする。

あゝ神よ、あなたの律した因果によって俺はこんな時の流れの中に産み落とされてしまったのか。もう一度大雨を降らして俺を箱舟に呼んでいただきたい。しかしきっとあなたは秩序を否定する俺を否定するであろう。だからせめて俺をほんの少しだけ、1年か2年ほどでいい、早く産んでいただきたい。